こんにちは。夕凪(ゆうなぎ)カフェのオーナー、おさかなです。
夕凪cafeでは、スカイプを使ったカウンセリングを行っております。
クライアントのみなさまに、カフェのように心地よく、
夕凪のようにゆったりとした時間を過ごしていただけたらと思い、
このブログを開設いたしました。
おいしいコーヒーやケーキ、お食事はご用意できませんが、
スカイプカウンセリングをお受けいただく際には
ぜひ好きなお飲み物やスィーツを傍にご用意ください^^
では、素敵な時間を、お過ごしくださいね。
詳細はこちら
2011年09月18日
色眼鏡の外し方
車を走らせながら、義妹はおもむろにこう言いました。
「見て!あの雲、ありえないくらいクリーム色!」
見ると、普通に真っ白な入道雲です。
同乗していた妻も「えー、別に普通だと思うけど…」というのですが、義妹は「ほら、正面のでっかい雲!」と繰り返します。
しばらくして義妹は「あっ」と言うと、「サングラスしてるの忘れてた~」と笑ったのでした。
そのとき義妹は、黄色のサングラスをかけていました。
妻も笑っていましたが、妻自身もサングラスをかけたまま室内に入って「なんか暗いなーと思った」とよく言います。
『色めがねをかけて見る』ってよく言いますが、これと同じようなこと、結構あるなぁ、って思います。
今の若者は失礼だ、とか、日本の政治家は頼りない、とか、公務員は楽なのに高給だ、とか、いわゆるステレオタイプというものから、うちの上司は意地悪だ、とか、うちの部下は使えない、みたいな個人に対する評価まで、自分の固定観念という色めがねを通して見てしまっていること、思い浮かびませんか?
義妹のように、「色めがねつけてた」って気づくことができればいいのですが、色めがねをつけていることさえ気づかずにものを見て評価してしまっているってことも、よくあるはずです。
例えば、同僚が上司をいかに嫌なやつかをとうとうと語っている横で、自分にとってその人のことは別に嫌でも何でもない、と感じていること、ありませんか?逆に、友人が好きな人をいかに素敵かを語っている横で、自分はその人をそれほど評価していない、ということもあるかも知れません。
このように、色めがねを付けているかどうかというのは周囲が気づいていても自分は案外気づかないことも多いようです。なにせ、色めがねはサングラスのように自らかけるものではなく、いつの間にか感じ方のフィルターとしてできてしまうものなので、付けているということはほとんど意識できないですから。
でも、自分が色めがねを付けているかどうか、気づくためのキーワードがあります。
結構子どもがよく使います。
それは…
「絶対かぁ~?」
子どもなら、このあと「だぁ、お金かけるかぁ?」と続くんですが、大人のあなたはお金をかけたりしない方がいいです。
世の中に、生き物は一生に一度絶対死ぬ、っての以外で絶対ってないと思いますので…
それでも人やテレビを見たりして、批判しそうになったとき、ステレオタイプや固定観念にはまっていそうだなとふと思ったとき、自分に向かって「ほんとに絶対かぁ~?」ときいてみてください。
「絶対かぁ~?」と唱えて、ぴんとこないときは、以下のことについても考えてみましょう。
「いっつもか~?」
「どこでもかぁ~?」
「だれでも(誰に対しても)かぁ~?」
「なんでも(何に対しても)かぁ~?」
若者とか政治家とか公務員とか、十把ひとからげになってるものをばらして、レッテルをはずして、ひとつひとつを見るようにします。そうすると、しっかりとした若者が見つかりますし、ちゃんとした信念を感じられる政治家の存在にも気づくかも知れません。消防署員や警察官も公務員ですが楽ではないでしょうし、霞ヶ関のビルには夜中まで明かりが灯っています。
また、個人についても、仕事上は怖い上司であっても、孫や子どもにはでれでれということはよくあることですし、趣味の集まりでは笑顔で大笑いしていることもあるかも知れません。もし、そんなところを実際に見ることはできなくても、想像してみるだけでなんだか親近感がわいてきます。
慣れてきたら、自分が常識と感じているいろんなことに対して「絶対かぁ~?ほんとに絶対かぁ~?」と立ち止まって考えて見てもいいかも知れません。新しい世界に気づくことができるかも。
最後に、この言葉は自分の中にある観念という色眼鏡を外すために自分への問いかけとして使うのであって、決して他人を批判したり評価するために使わないでくださいね。
世の中に絶対はほとんどあり得ないのと同様、自分にも他人にも絶対はあり得ません。
自分にも、他人にも、世の中にも、決して絶対を求めないでくださいね^_^b
2011年09月17日
カウンセリング練習会
本日は、一番星の会(宝喜美子カウンセラー養成講座修了生の集まり)のカウンセリング練習会でした。
数名で集まり、お互いに実践さながらのカウンセリングを行い、シェアしていくのです。
ほぼ同じことを習った仲間ではあるのですが、相手の話の引き出し方、悩みの本質へのアクセス方法など、三者三様、十人十色です。
そして、それぞれに「こんなやり方があるんだなあ」「この人のカウンセリング受けてみたいなあ」と思わせるものがあります。
ぼくのカードカウンセリングも完全にパターン化されているわけではないので、一人ひとりの状況や悩みによってその場その場でどんな言葉かけを行うか、どんな手法を使っていくか、決めていきます。
そのため、クライアントさんの語る言葉や雰囲気に注視するのですが、そのときの、周囲の雑音が消えるような感覚、周りに人がいてもクライアントさんと二人だけで向き合っているような感覚は、ぼくにとっても何か特別で心地よいものに感じます。
時に、うまくカウンセリングを進められるよう助けてくれる何かを自分の中に感じることもあり、その声に従うとカウンセリングがすごくうまくいったりします。
そのときの、感覚が開いていながらも落ち着いた感覚は、やはりカウンセリングを行う時だけ入るスイッチのようなものが働いているのかも、なんて思ったりもします。
他のみんなもそうなのか、まだ聞いてはいませんが、このような練習会に進んで足を運んでいるということは、このようにカウンセリングを行う時間にどこか心地よさを感じているのかも知れません。
こんなことを言うのは変かも知れませんが、ぼくはカウンセリングの仕事がやっぱり好きなんだなぁ、と、そんなことを思った練習会でした。
~こちらで実践予定です~↓
心が軽くなるカウンセリング体験会
(バナーの日付が2011.8.26になっているかも知れませんが、ページ下部の開催日程 2011年11月18日 が正しいです)
2011年08月20日
変化すること・変化しないこと
こんばんは。おさかなです。
本日は、会社の外部研修で福岡県のほうに来ています。
この研修は5月・6月・8月の3回にわたって3日間ずつ行われまして、今日がその最終日でした。
業種も年齢も様々な人たちと素晴らしい時間を過ごすことができました。
この研修中、お近づきの印と自分の経験のため、何名かの方にセルフ・セラピーカードを使った軽いカウンセリングをさせていただきました。
そのなかに、研修施設の事務を担当されている女性もおりました。6月の研修の初日が終わったあとでした。
口をへの字にしてどこか不満そうな雰囲気を持ち、地味な印象の方でした。
カウンセリングを行ったときのことは個人情報なので詳細は伏せますが、意外と華やかなものや場所に憧れを抱いているようでした。なので、少しずつでもそういうものを身に着けてみたら、とアドバイスしたのを覚えています。
次の日から彼女は眼鏡をコンタクトに変えたり、光沢のあるヒールを履いたりして、表情も幾分明るくなったように思えました。
それから2ヶ月後、今回の研修でお会いした彼女は、以前とは打って変わってきらきらとした笑顔の可愛らしい女性にすっかり変身しておりました。
「そうそう、実は今週末で転職することになったんです。あれからどういうわけかポンポンポンとうまくいって…」
それは、ぼくにとって嬉しい報告でした。
カードカウンセリングを行ったときに出てきた悩みのひとつに、転職を考えていて採用試験を受けるのだけれど必ず最終面接で落ちてしまう、というのがあったからです。
もちろん、この変化は彼女の思いと行動によるものです。ぼくの手柄ではありません。
それでも彼女の変化のきっかけ作りに自分が関われたこと、そしてそれがプラスの結果を生み出したことは、やっぱり嬉しかったです。
確か大阪の人気カウンセラー・衛藤信之さんのお話だったと思うのですが、こんなのがありました。
雪が地面に降っても、すぐには積もらない。
降り始めの雪は地面に降ってもすぐに溶けてなくなってしまう。
地面に降って、溶けて、降って、溶けてを何度も繰り返してやっと、雪は積もり始める。
では、積もらずに溶けていった雪は全くの無駄か?
いや、溶けていった雪が地面を十分に冷やしたからこそ、あとから降ってきた雪は溶けずに地面に積もることができたのだ。
地面を冷やすために溶けた雪と積もり始めの雪とでは、しばしばよく見える分後者のほうがもてはやされたりするけど、ただ役割がそうであっただけで本質的な差はない。
ぼく自身を振り返ってみても、一回なにか話を聞いてすぐに腑に落ちた、ってことはほとんどありません。
何度も同じ話を聞いて、自分でもいろいろ考えまわして、それでもいまいちわからなくて、次にどこかでまた同じような話を聞いて、また考えて、そのうち忘れて、ふと思い出して「あの話ってこういうことだったんだぁ!」って腑に落ちる、みたいなことのほうがよっぽど多いです。
その場合、確かにあとから聞いた話のほうが残っていることが多いではあるけど、一回目に聞いた話と、最後に聞いた話の価値に差はありません。
今回のぼくのカードカウンセリングは、単に積もり始めの雪だっただけかも知れません。もしかしたら、彼女はぼくのカウンセリングを受ける前にいろんな人の話を聞いたり、自分でもいろいろ考えたりしたかも知れません。彼女自身が変化のときを迎えている最中にたまたまぼくのカードカウンセリングを受けてくれたのかも知れません。
だからぼくは、彼女の変化と転職を彼女の思いとがんばりが結晶化した結果として祝福し、滝のような拍手を送ります。
ちなみに、これまで「変化」という言葉を使ってきましたが、この言葉はもしかしたら適当でないかも知れません。
変化というよりも、彼女は本来の自分を取り戻した、といったほうがいいかと思います。
なにせ、あんなにきらきらした笑顔と雰囲気は、自分でない方向に無理やり変わった人には決して出せないものでしたから…
2011年08月15日
夢に出てきたから
昨日は旧盆のうーくい。
当初は、奥さんの実家とうちの実家のうーくいに参加するだけの予定だったのですが、昨日は娘も連れて3人で奥さん側の親戚のところへお邪魔してきました。
その理由というのが、奥さんの夢に親戚のおばさんが出てきたから。
そして、親戚のほうにも普通に「○○おばさんが夢に出てきたから~」と伝えていました。
また、うんけーの日の夜、奥さんの夢に今回が初盆となるおじいちゃんが出てきて、関西弁で(昔関西に住んでいたらしい)「コーヒーとパンとマンゴーが食べたかったわ~」と言ったんだそう。
それも実家の妹にメールしていて、昨日そのおじいちゃんのところに行ったら、しっかりコーヒーとパンとマンゴーがお供えされていました。
「夢に出てきたんで遊びに来てみた~」とか、「電話してみた~」とか伝えたところで「はぁ…?」と言われそうなものですが、それがすんなりと受け入れられてしまうところ、さすが沖縄だなぁ~、なんて思ったのですが、これってもしかして、うちの奥さんとこだけ??
2011年08月07日
心が軽くなる本の読み方
台風一過、いかがお過ごしでしょうか?
昨日・おとついとお仕事が休みになって、この機会にブログの更新だの何だのをいろいろと片付けようと思っていたんですが、結局ずっと娘の世話をしておりました。
去年あたりから西原町坂田の東洋鍼灸院に通っておりまして、といってもぼくはそこで鍼灸を受けたことはありません。
そこは、鍼灸を行うこともあるのですが、その前に本やCD(主に講演CDです)を処方してくれるのです。詳しいことはよくわからないのですが、脳内物質をOリングで確認し、それにそって本やCDでもって考え方のゆがんだパターンをまず治していく、という方式のようです。
ぼくもこれまで様々な本やCDを処方され、そうなんだよねぇ、と思ったり、こう思えばいいんだなぁと思ったりしながら、それらを読んだり聴いたりしていました。
ところが、前回本を処方されると同時に、こんなことを言われたんです。
「処方した本は、自分が納得できるとこだけ読んでね。納得できないところは、飛ばして読んでいいから。それから、本は自分を変えるために読むものじゃないよ。自分を好きになるために読むんだよ」
びっくりでした。まさか、と思いました。
本は至らない自分をより良く変えていくために読むものだと思っていましたから。
「人に迷惑かけちゃいけない、って言うんだけど、あなたはやくざや暴走族じゃないよね?ちゃんと法律守ってるよね?なら誰にも迷惑なんてかけてないよ。ちゃんと法律守ってる人に『人に迷惑かけるな』『もっと良くなりなさい、変わりなさい』っていうのは、丸いものに『もっと丸くなれ、もっと丸くなれ』って言ってるようなものだからね」
確かに、自分の中にずっと、こうしたら誰かの迷惑になるんじゃないか、人の迷惑にならないためにもちゃんとしなきゃ、という思いはありました。
そんな、人に迷惑かけてばっかりの至らない自分を変えて、ちゃんとした人にならなきゃ、という思いで今まで処方された本を読んでいる部分も、ありました。
自分は自分のままでいい、性格悪いところも含めてそのままでいい、ということ、頭ではわかっていたんですがまだ府に落ちてはいなかったんですね…
「自分を変えよう変えようとする人は、人も変えたくなるんだよ。頼んでもいないのに『お前のそういうとこはダメだから、変われ』という人、うざったいでしょ」
両親ともどもそんなタイプだったし、学校でも、大人になってからもそういう人はそこらじゅうにいたので、人ってそういうものだと当たり前のように思っていましたが、確かにうざったい…
そして、そういううざったい人に自分も知らず知らずのうちになりかけていたのかも…
そう思うと、ちょっと怖い気がしました。
本は自分や他人を変えるためではなく、自分を認め、好きになるために読む。
なんだか肩の力が抜けて、ほっとしたような気持ちになりました。
何かから解放されたような、嬉しい心持ちです。
2011年06月03日
一番星の会・一泊研修その2
ほんとうに、一ヶ月近くも間が空いてしまって、ごめんなさい。
それでは、一泊研修の続きです。
次に行ったのが、二人一組になって相手の手の感触を確認し、次にみんなで集まり、目をつむってさっきの相手を手の感触だけを頼りに探すというもの。
説明を聞いたときには難しいかも、と思ったのですが、手の感触って意外と個人差があるもので、ぼくを含め、みんなそれぞれのパートナーの手を見つけていきます。
先に行った、目の見えない人を耳の聞こえない人が誘導するワークもそうなんですが、聴覚や触覚といった、視覚以外の感覚って、使ってみると普段思っている以上にたくさんの情報を受け取ることができるものなんですね…
今思えば、その後にみんなで乗ったシーカヤック体験も、潮の香りや波の音、水をかくオールの感覚から一緒のカヌーに乗っているパートナーと息を合わせる感覚(シーカヤックは二人一組、前と後ろに乗ります)まで、普段ないがしろにしがちな感覚を存分に使うというワークの一環だったのかも知れません。
そのときはそんなこと考えずに、ただただ楽しんでいましたけど^^
シーカヤックからあがったころ、結構大粒の雨が降ってきました。
早速お風呂にと行きたいところだったのですが、あいにくお風呂が開くまでにはまだ時間がありました。
そこで、カウンセラー養成講座を受講するまでのいきさつやこれまでの半生など、身体をコーヒーで暖めつつ、一人ひとり話していきます。
友達に誘われるまま単身アメリカへ渡り、そこで自らのアイデンティティに気づいた人、様々なシンクロニシティや紆余曲折を経て教員になったひと、公務員を退職し、自らの守護神さんの導きによりここに至った人、みな本当に様々な人生を歩んでおられました。普段接している笑顔の奥にある人生の層に、ただただ驚き、感心するばかりです。
ひとっ風呂浴びて少し休んだあと、バーベキューが始まりました。
乾杯して、お肉を食べて、お話して、みんなが家族のようにさえ思えます。
そんな中、まもるさんがクラシックギターを取り出してきました。「禁じられた遊び」に始まり、曲名はわからないけど様々
な曲が演奏されていきます。
そして、「練習中だけど」と弾きだしたのが、アンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」でした。
ぼくも含めて何名か、一緒に歌ったのですが、こんな歌詞だったんだなぁ、と、改めて思いました。
青春時代と呼ばれる10代後半のころって、そういえばずっと悩みっぱなしでした。
十五のころではないのですが、この頃本気でもう自分はこの世のお荷物にしかなれないから死んだほうがいいんだと思っていました。
アンジェラ・アキさん自身、十五の頃の自分をハグしたくてこの歌を作ったとどこかで話していたんですが、ぼくももしかしたら、その頃の自分をハグして、話をうんうんと聴いて、辛かったねと共感してあげたくてカウンセラーになった、という所もあるかも知れません。
さらに、二日目(その3)に続きます。
2011年05月13日
一番星の会・一泊研修in金武町ネイチャー未来館
昨年11月に娘が産まれてから、何より子守りを優先させていただいております、おさかなです。
もし、またしばらく更新が滞ることがありましたら、娘をあやしている最中と考えていただけたらと思います(^^;
ゴールデンウィークから今週にかけて、個人的なイベントが盛りだくさんでした。
前回のヒーリングパラダイスに続き、今週は福岡での研修がありました。
そして、3日から4日にかけて、宝さんのスピリチュアルカウンセラー養成講座修了生の会「一番星の会」にて、金武町のネイチャー未来館で一泊研修を行ってきました。
前回書いたヒーリングパラダイスと前後しますが、今回はこちらのお話をさせていただきますね。
5月3日、ゴールデンウィーク突入と同時にやってきた梅雨前線の影響で、金武町は朝からあいにくの曇り空。
しかし、宝さんや一番星のみんなが集まると、なんだか周囲がぱっと明るくなる気がします。
コテージを一棟借りていたので、そこで朝からワークを、という予定だったのですが、コテージのチェックインは午後2時からということを、みんなスコーンと忘れていたのでした。
でも、そこはさすが宝さん、すぐに外でしかできないワークを始めます。
目が見えない人と、口がきけない人のワーク。
二人一組になり、一人は目をつぶって広場を歩き回ります。そしてもう一人は何も言わずに手や足音を使って目をつぶっている人を誘導します。
まずは、ぼくが口のきけない人の役。
目の見えない役の人を誘導します。
誘導とはいっても敷地は広いので、何も障害物のないときは自由に歩かせることにしました。
他の人を見ると、目の見えない役の人の前後を手でガードするように誘導している人、後ろから見ている人、横に立って歩調を合わせる人、様々です。
目の見えない役の人の進む先に障害物があると、ぼくは肩を軽く押すようにして方向転換させます。
そして、障害物がないところでは、少し離れたりして自由に歩かせます。
それを15分間で行い、最終的には宝さんのところへ誘導します。
「もういいですよ」と宝さんがぽんぽんと肩をたたいて、交代。
今度はぼくが目の見えない人の役になります。
広場には音楽が流れていたので、その音を頼りに方向のあたりをつけ、歩きます。
周囲からは、子どもたちのはしゃぐ声や風の音も聞こえます。また、ひさしや屋根のあるところに入ったり近づいたりすると日の光がさえぎられて陰に入ったことが、まぶたの明度でわかります。
また、口のきけない役の人が、ぼくのそばを歩いているのが、感覚でなんとなくわかりました。
最初はこわごわでしたが、障害物があれば口のきけない役の人がちゃんと誘導してくれますし、ちょっとした段差でもトントンと足を鳴らして教えてくれるので、だんだんと安心して歩くことができるようになりました。
そこで15分経過したらしく、「もういいですよ」と軽く肩をたたかれました。
このワークで、目の見えない役の人は視覚以外の感覚の拡がりを感じたり、誘導してくれる人に信頼感を得たりするほか、耳の聞こえない役の人の誘導の仕方に子育て観みたいなのが出てきたりもするのだそうです。
宝さんてば、はじめっから素晴らしく楽しいワークをやってくれます。
続きます。
2011年05月10日
ヒーリングパラダイスへのご来場、ありがとうございましたm(__)m
長らく更新していなくてごめんなさいm(__)m
ネタはあったので更新しよう、しようと思いながら時は流れ、ついでにネタも流れ、こんなに久しぶりの更新になってしまいました。
これも、事前に当ブログにて告知すべきだったのですが、昨日、沖縄コンベンションセンターにて「第七回ヒーリングパラダイス」が開催されました。
夕凪cafeのブースにてセルフセラピーカードをお受けいただいたみなさま、ありがとうございましたm(__)m
そして時間がなかったり、予約がいっぱいで受けられなかったみなさま、ほんとうにごめんなさいm(__)m
今回初めての出店だったのですが、当初はそんなにお客さん来ないかな、と思っていたんです。
一番星の会(宝喜美子さんのスピリチュアルカウンセラー養成講座修了生の集まり)から何名か来ていただいて、飛び込みで一人二人見て、って感じかな、なんて思っていたんですが、その予想はいい意味で覆されました。
周囲を見回す余裕があったのは最初のころだけで、一人、二人と来ていただき、ついにはお昼休みを取る時間もないくらい、たくさんのお客様にきていただきました。
さらに、何人か予約が満杯ということでお断りせざるを得なかった方もおられましたし、わざわざ会場に足を運んでくれた一番星の会のメンバーさえも、また別の機会に、ということを伝えなきゃいけない事態にもなって、嬉しくもあり、申し訳なくもあり、ということもありました。
ヒーリングパラダイスでは、カード占いのようなスタンスでやっていたものの、その中身はどちらかといえばコーチングに近いものでした。
基本的にはお客様自身で考えてもらい、お客様自身で答えを出してもらう、という感じです。なので、カードからストーリーを考えることが難しいというお客様もおられましたし、自分の悩みとカードがリンクしない、というお客様も中にはおられました。
そのような課題も出てきましたが、概ね多くのお客様には満足いただけたのではないかな、と思います。
さらに、今回ヒーリングパラダイスに出店して嬉しかったことは、宝さんのカウンセラー養成講座1期生の仲間として共に学んだ山川典子さんに久しぶりにお会いできたことでした。
宮古島在住ということで本島のほうに頻繁に来ることもできず、一番星の会にもほとんど参加できていないことを気にしているようでしたが、それでも近況を聞いたり、いろいろお話できたこと、何より元気でおられたことが嬉しかったです。
帰ってからその日の売上を数えていると、500円玉や1000円札の一枚一枚が、なんだかたまらなく愛おしく感じました。
宝さんがよく、「数字には物語がある」とおっしゃっていたのですが、お客様の物語が、お金のひとつひとつに詰まっているような気がして、数字の物語を感じていました。
お客様にお釣を渡す際には必ず、「この人にたくさんの幸せと、たくさんの(お金の)お仲間を連れてきてね」と心の中で唱えさせていただきましたが、心の底からそのようになればいいな、と思います。
願わくば、ヒーリングパラダイスにてご縁いただきましたお客様やスタッフ、そして典子さんをはじめとする出展者のみなさまが、皆それぞれに、それぞれの幸せの物語(STORY)を歩んでいけますように…
2011年02月13日
孤独感を解消するには
2月1日の「心が軽くなるカウンセリング体験会」楽しんでいただけましたでしょうか?
短い時間ではありましたが、予想以上にたくさんの方に集まっていただきまして、ありがとうございました。
また次回も予定しているということですので、そのときはまたご案内いたしますね。
さて、明日2月14日はバレンタインデー
ですね。チョコをもらうあてのある方、あげる方、今から作っているという方もおられるかも知れませんね。
昨今は女性同士でチョコを贈り合ったり、自分へのごほうびとしてチョコを買い求める方もたくさんおられるようです。
この時期限定で発売されるチョコやスィーツも多く、自分用に欲しくなる気持ちもわかります(*^_^*)
その一方で、この時期になると妙に孤独を感じる
、という方もおられるかも…実はぼくも、そのタイプでした。
孤独だなぁ、と感じること、ありますか?
見渡す限りだ~れもいない場所にぽつんとひとり、というのも孤独ですが、見渡す限り人・人・人の大都会でも、孤独を感じることはあります。
むしろ、ただ一人でいるよりも、よっぽど孤独感を感じるものです。
まるで、海のど真ん中で水を求め続けているような気分です。
海水を飲んでしまうと喉の渇きはより激しくなる。コップ一杯の真水が切実に恋しくなります。
それと同様、人がたくさんいるところに行くよりも、自分を肯定し、認めてくれる人が一人いるほうが、よっぽど孤独感は解消されるような気がします。
誰か一人でも周囲にそんな人がいれば話は簡単なのですが、そうでない場合もあります。
そんなときおすすめしたいのが 「自分ほめ」 です
。仕事が終わったあと、家事がひと段落したとき、電車の窓や鏡に映った自分に、
「よくやったね
」 「がんばったね
」 「えらいえらい
」「あっぱれあっぱれ
」そんな言葉をかけてあげてください。
自分の頭をなでなでしながら言ってみるのも、ちょっとてれくさいけどいいですよ^^
それこそ、赤ちゃんや子どもに言うみたいに、
「朝ちゃんと起きられたね~。えらいえらい
」「きれいに歯磨きできたね~。えらいえらい
」「忘れ物しないで出られたね~。えらいえらい
」「今日も遅刻しなかったね~。えらいえらい
」……
別に大声で言う必要はなく、口の中でつぶやくだけでOKです。
あなたの中に、あなたをひたすらほめて認めて許してくれる存在がいる。
そう思うだけでも、孤独感がほんのすこし、癒されませんか?^^
それができるようになったら、少しだけ、誰かのために動いてみましょう。
大したことでなくていいんです。
電車やモノレールで、誰かに席をゆずってみる。
いつも混雑する合流地点で、前に一台入れてあげる。
もしかしたら、いつもやっていることかもしれません。
これを、「えらいえらい

」と自分ほめをしながらやってみます。いつもより余裕がでてきますよ。
「ありがとう」の言葉やハザード二回がいつもより心地よく思えるかも。
もしそういうのがなくても、「照れてるのかな」ぐらいに思えたりするもんです。
ここまで心に余裕が生まれたら大丈夫

学校や職場で、いつもよりほんの少し笑顔を足して、いつもよりもう少しだけ声を出して、挨拶してみてください。
なんだか、いつもよりすがすがしい気分になるはずです。
それを続けていけば、もしかしたら、今年は難しいかも知れませんが、来年のバレンタインデーには、少し様子が違っているかもしれませんよ…

2011年01月31日
心が軽くなる、カウンセリング体験
夕凪cafeのおさかなです。
ぼくは普段、どちらかというといらんこと考えてぼけーっとしている方なんですが、
カウンセリングを行うときって、どういうわけか心が静かになります。
目の前のクライアントさんのお話を聴きながら、解決の道しるべを探していくときの感覚って不思議で、自分の知っている手法からあれこれ探していくというよりは、何かゆったりとしたひらめきのようなものをどこからか受け取り、それを伝えたり、体験してもらったりすることも多いです。
でも、それを教えてくれるのは、実はクライアントさん自身なんだろうなぁ、ってどこかで思ったりもします。
なんとなく例えるなら、暗い分かれ道のどちらかに手を引いていくのではなく、クライアントさんの手に持っている明かりの点け方をちょっと教えてあげるような、そんな感覚が近いかも知れません。
それだけのこと、なのかも知れませんが、停電になってそこいらじゅうが真っ暗になったときのろうそく一本の明かりの嬉しさを知っているから、その明かりに照らされたクライアントさんのほっとした表情がわかるから、ぼくはカウンセリングを行っているんだろうなぁって思います。
その、ほっとする感覚を味わっていただけたらと思い、紹介いたします。
心が軽くなるカウンセリング体験会

ちなみに、ぼくも出席する予定です。
心が軽くなるカウンセリング体験会
http://www.spioki.com/seminer/89.html
2011年01月05日
カード占い
夕凪cafeのおさかなです。
昨年11月に娘が生まれて以来、てんやわんやの毎日です。
ところで先日、一番星の会(カウンセラー養成講座終了生のための集まり)の打ち合わせのために宝さんのところへ行ってきました。
その際、実験的に行っているカード占いをやってきました。
セルフ・セラピー・カードというものを3枚ひいてもらって行います。
そうして出たのが、これらのカードでした。
カードの絵柄を見て感じたことから占っていくのがぼくのやり方です。
まず、左のカードが「今抱えている問題のカード」です。
このカードを見て宝さんが言ったことは
「右の人から離れていくところ」
つまり、ひざをついている右側の人を置いていってる風な、左の人が宝さんだというのです。
このカードは、依存心を表すカードではあるのですが、カードの名前にとらわれるよりも、絵を見たときのインスピレーションを大事にしたほうがいいとぼくが思うのは、クライアントさんによってこのように意外な見方が出てくるからなんです。
そして、真ん中のカードが「問題を癒すヒント」のカード。
宝さんの場合は
「離れていっても、根っこのほうではつながっている」
ということでした。
最後に、右側のカードが「問題を解決した後、得られるもの」のカードです。
やはりというかなんと言うか、
「頂上で『そうだ!そのとおりだ~!』と言っている」のが宝さんなのだそう。
最後に、これら三枚のカードを、3コマ漫画のようにストーリー仕立てにしてもらいます。
ここから得られたストーリーは宝さんのプライベートにかかわることなので割愛しますが、「あぁ~!」と納得しておられました。
その後、宝さんに感心されて、わざわざ近くのお友達まで呼び出してくれて、同様にカード占いを
しました。
そのお友達も、「あぁ~!!」と納得していたようでした。
この方法だと、占ってもらう人は悩みを話さなくてもいい(話したければ話してもいい)ので、他人に悩みを話すのは抵抗がある、うまく悩みを表現できない、という人にはぴったりです。
悩みの本質がよくわからない、どこかもやもやとした悩みを抱えている、どうすれば解決できるのか、解決できたらどうなるのか、ヒントがほしい、という人に、特におすすめしています。
興味がありましたら、「オーナーへメール」からお問い合わせくださいね。
ただ、カード占いの特性上、現在対面のみの受付となっておりますので、ご了承ください。
2010年10月30日
落ち込みから抜け出せないときには
夕凪カフェのオーナー、おさかなです。
随分久しぶりの更新になってしまいました。
その間、プライベートのほうで忙しくしていた、ということもあるのですが、今思えばその時間はメンテナンスの時期だったのかな、とも思えます。
自分の小さい頃のことを思い出して、自分の思考パターンのルーツを探してみたり、漫画に夢中になり、自分はこんなことを面白いと感じたり、感動したりするんだなぁということを再確認したり、という時間になりました。
でもその中で、自分のあまり向き合いたくない歴史に触れて落ち込んだり、単純に疲れて何もできなかったり、そんな自分を責めてさらに落ち込んでしまったり、といったことがあったのも事実。
そういうときは、心も身体も頭も、ゆっくりと休ませるのがセオリーだとは思っているのですが、頭も身体も、「ゆっくり休みました。これで満足です」とはなかなか言ってくれませんでした。
そんな折、久しぶりに友人がちょっとした講演会に誘ってくれたことがありました。
講演会もさることながら、誘ってくれたことが、なにより嬉しく、有難かったです。
師匠がよく、「人は人でしか癒されない」と言っていたのですが、こういうことなのかな、と思ったのでした。
確かに、いくら本を読んでも元気が出なかったのに、ちょっと友人と会って話をしているだけで、こっちのほうが癒され、元気をもらっていたってこと、これまでもよくありました。
人に傷つけられて落ち込んだり、人と比べて自分を責めてしまったり、人とうまく接することができずにひとりぼっちな気分になったりすることも、たくさんあります。
でも、そんな自分を癒してくれるのも、人なんですね…
そうはいっても、もし、落ち込んでいるときに誘ってくれる友人や、癒してくれそうな人が見つからないときには、カウンセラーに話を聴いてもらうのも早くていい方法かも知れませんね。
ぼくをはじめ、多くのカウンセラーは、そんなときのために、カウンセリングを行っています。
このような経験が、ほんの少しでも、あなたの心を軽くする手助けになればと願って…
2010年08月10日
語らざれば、憂い無きに似たり
ミラクルージュ「沖縄ヒッチハイク」
http://miraclerouge.ti-da.net/c95070.html
そこには、知られざるミラクルさんの半生が、赤裸々に、時に面白おかしく記されておりました。
彼女の半生記を読み終え、ミラクルさんの笑顔がふと浮かんだとき、
昔どこかの本で見た言葉が浮かんできました。
「君看よ双眼のいろ 語らざれば憂い無きに似たり」
気になって調べてみると、相田みつをさんの「憂い」という詩の一節のようでした。
憂い
むかしの人の詩にありました
君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
憂いがないのではありません
悲しみがないのでもありません
語らないだけなんです
語れないほどふかい憂いだからです
語れないほど重い悲しみだからです
人にいくら説明したって
全くわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと こらえているんです
文字にもことばにも
到底表わせない
ふかい憂いを
おもいかなしみを
こころの底ふかく
ずっしりしずめて
じっと黙っているから
まなこが澄んでくるのです
澄んだ眼の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
重いかなしみの見える眼を持とう
君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
語らざれば憂い
無きに似たり
みつを
出典「じぶんの花を」(文化出版局)より
スピリチュアル沖縄のミラクル秘書としてがんばっておられる奈美さん
カウンセラー養成講座の受講を迷っていたぼくの背中を押してくれた奈美さん
いつも目を三日月形にしてとびきりの笑顔を見せてくれる奈美さん
優秀な秘書でありながら、みんなのムードメーカーとして場を明るく、和ませてくれる奈美さん
そんな奈美さんにも、独り涙で枕を濡らした夜もあったに違いない。
三日月形の目の奈美さんの、澄んだ眼の奥に秘めた涙を、ぼくは想像でもしたことがあったろうか……
澄んだ眼の底にある、深い憂いに耳を傾け、重い悲しみに寄り添いながらも、
澄んだまなざしの先にあるものを共に喜べるような、
そんなカウンセラーにぼくもなりたいものです。
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2010年08月10日
怒っている人との接し方
たとえば、後ろの車に「プッ」とクラクションを鳴らされたとき、
激怒する人もいれば、特になんとも思わない人もいます。
同じ犬を見ても、
思わず抱きしめたくなるという人もいれば、怖くて逃げ出したくなるという人もいる、
というのと同じです。
そういう心のくせを、それぞれの人が持っている、というだけです。
ですから、怒っている人の話の内容は聞いても、怒りまで引き受ける必要はありません。
「怒り」の感情を跳ね返す見えない壁をイメージして、相手との間に置いてみましょう。
怒られるの、ちょっとだけ、怖くなくなりませんか?
2010年08月09日
自分よりも、自分を信頼してくれる人
「自分のことを、自分よりも信頼してくれるメンターを持つといいよ」
ぼくは今、そのようなメンターがいるありがたさを、ひしひしと感じています。
メンターとは、自分よりも自分を心配してくれる人ではありません。
メンターとは、自分の偉さを示そうとする人でもありません。
メンターとは、自分よりも自分を信じてくれている人、です。
そしてメンターからの巣立ちを、心から喜んでくれる人です。
その人に会うと、昨日よりもさらに自分に自信が持てるようになります。
その人に会うと、昨日よりもさらに自分が愛おしく思えるようになります。
その人に会うと、昨日より成長した自分に出会えます。
本田健さんは「こちらの準備ができたときにメンターは現れる」と何かの本に書いていました。
ぼくがその人と初めて会ったとき、ぼくはまだ全然準備が出来ていませんでした。それどころか、準備をしようともしていませんでした。
そのとき、その人はまだぼくのメンターではありませんでした。
準備をはじめ、それが整い始めたとき、その人はぼくのメンターになってくれました。
ぼくにとっての準備とは、
「自分を、もう少し信じてみよう」
そう決めたことでした。
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2010年05月14日
『回復整体おきなわ』に行ってきました
院長の石川さんがカウンセラー養成講座の二期生というご縁があったことと、肩こりがちょっときつくなっていたこと、石川さんがお話していただいた、痛くない整体のお話が魅力的だったことなどから、いつか行ってみたいなぁ、と思っていたんです。
(こんなに理由がなかったら行かんかったんかい、というツッコミはなしです~)
わかる人はわかるのですが、ぼくはかなり姿勢が悪いんです。
猫背ですし、肩が傾いていたりします。
実は、小学校五年生の頃、モアレ検査(今もそういうのあるのかな?)で引っかかってから、そのまんまです。
昔、整体院から病院から色々廻ったこともあったんですが、「日常生活に支障がないなら、大丈夫です」と言われて、そうかなぁ、なんて思ってそのままでした。
ですから、ぼくの身体のゆがみは実のところ、結構年代物だったりします。
思いっきり猫背であること、背骨・骨盤のゆがみにより手足の長さが違うことは、すぐに指摘されました。
ただ、ここからが、他の整体院と違うところでした。
わざわざ写真を撮って、猫背具合を見せてくれたんです。
確かに、ものすごい猫背だぁ、と思う間もなく、仰向けになったり、うつぶせになったりして、手足をゆらゆらと揺らされたり、肩や足を動かしたり、背骨を伸ばすストレッチを教えてもらったりしました。
そんなに長い時間ではなかった気がします。もちろん、痛みなんてこれっぽっちもありませんでした。
それでも、施術が終わったとき、びっくりしました。
背骨のゆがみや骨盤の歪みにより左右の手足の長さが違っていたのが、ほぼ直っていたのです。
施術後、再度写真を撮ってもらったときにも、猫背がだいぶましになっていました。
もちろん、完治するにはもっと通う必要があるようなんですが、一回の施術でもここまで変わるというのは、これまでありませんでした。
ぼくは現住所がうるま市で、回復整体おきなわのある首里まで通うのは大変そうなので、これから、石川さんの弟さんが恩納村真栄田でやっておられる「痛くない整体まえだ」のほうに通うことになるかも知れません。
こちらでも、石川さんと同様の施術をしていただけるようです。
もし、首里は遠くて通えない、通いにくいということでしたら、石川さん同様に痛くない整体をしているところを紹介していただけると思います。
肩こり・腰痛などでお悩みの方、一度『回復整体おきなわ』を覗いてみるのもいいかも知れません。
それでは、今日から早速石川さんに教えていただいたストレッチをして寝ます~

おやすみなさい
2010年04月22日
いらないいろはない
デザインの勉強をしていたり、それに類する仕事をしている人でなければ、あまり縁のない種類の本かも知れませんが、見てみると意外と楽しい世界が拡がっていますよ。
「和風」とか「くつろぎ」とか「エスニック」とか、色の組み合わせで様々なイメージが表現できることがわかります。
それらの色の要素には、原色のようなはっきりとした色もありますが、ちょっとにごった感じの色とか、薄い色とか、方言で「色まんちゃー」と呼んでしまいそうな色まで、ほんとうにいろんな色があるんですね~。
そして、気づくんです。
いらない色って、ないんだなぁ、って。
原色も鮮やかでいいんですけど、くすんだ色も落ち着いていいんです。
薄いパステルカラーも優しくていい感じですし、濃くグレイッシュな色も伝統的な感じがしてなんだか姿勢がすっとなります。
そして、それらの色が互いにうまく組み合わされた時の美しさといったら……
十人十色、って言いますが、ほんとうにそうなんですね~…
それぞれに良さがあって、お互いのパートナーシップによって素晴らしいハーモニーが生まれる。
そして何よりいいのが、いらない人はいない、ってこと。
みんな、カラフル。
みんなで、colorfull。
あなたという色、ちゃんと愛してあげてくださいね。
夕凪cafe おさかな
2010年04月11日
本田健さん講演会
その、質問コーナーでこんな話をしたんです。
「両親に本田健さんの著作を見つかったとき、『こんな本読んじゃダメだ』とすごく怒られたんです」
それに対し、本田健さんは
「こういうことを言われる人は、地に足をつけずにちゃらんぽらんに生きてきた人が多くて(笑)そんな息子が『好きなことをしてお金持ちに~』みたいな本を読んでいることに、両親として危機感のアラームが鳴ったんだろうなぁ」
てなことを言い出したんです。
ちゃらんぽらん…って…
確かに、作家になりたいと芸大に行って、CGデザイナーになりたいと言って専門学校行って、どちらも結局ものにならなかったという歴史がある以上、真面目に一直線に夢に向かって努力してきました、とは言えませんです…
続いて、こんな質問もされました。
「好きを仕事にするなんて甘いというご両親の意見は、間違っていると思いますか?」
はい、とぼくが答えると、本田健さんはこう言いました。
「ぼくの友人たちには、好きなことを仕事にして成功している人が沢山います。多くの成功者と話すと、皆口をそろえて『好きなことを仕事にするなんて、常識だよね』と言います。しかし、ご両親にとっては、その(好きを仕事にするなんて甘いという)意見が正しいのです。ご両親も、好きなことを仕事にして成功している人がいるというのは知ってると思います。ただ、息子にはそれが当てはまらないと思ったんでしょうね」
「今度、ご両親にこう伝えてください。『この本の作者の本田健って人に会ったんだけど、そのとき言われたよ。ご両親のほうが正しいって』」
「そう伝えることで、お互いに意見を近づけるきっかけになります。」
そこで、はっとしました。
「間違っている人はいない。どんなことでも、その人にとっては正しいことなのだから、その人の正しさに寄り添ってあげなさい」
カウンセラーの勉強で習ったことでした。
ぼくはカウンセラーとしてクライアントに接しているとき以外はカウンセラーではないんですが、
それでもこんな大切なことを忘れていたなんて……
家族とか、近しい人たちに対してつい甘えが出てしまっていたようです。
反省でした。
2010年03月22日
好きなことば・癒しのことば
いろんな言葉に出会ってきたはずなのに、ふとしたときに思い出す言葉って、ずっと一緒なんですね……
そして、その言葉を思い出すたびに、なぜか涙が浮かんでくるように思うのです。
『なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りも
みんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから』
もしかしたら、知っておられる方も多いかも知れません。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の一節です。
ぼくも、これまでたくさんの後悔をしてきました。あの選択は間違っていたのでは、と今でも思い出してやるせない気持ちになることがあります。
だから今こうなんだよな、とネガティブな意味で因果応報だなと思ったこともありました。
そんなとき、ふと思い出すのが、上の言葉でした。
間違って、間違って、間違いまくって今の自分ができてしまったのかも知れない。
でも、どんなに沢山間違っていたとしても、それらが実はただしい道を進む中でのできごとであるのかも知れない……
不思議と、そんなふうに思えるのです。
いや、むしろ、ほんとうは正しいとか間違っているなんて存在しなくて、ただ「ほんとうの幸福」に向けて一あしずつ進んでいるだけなのかも知れない。
(幸せが何かの報酬ではなく、感情の名前ということは前回の日記に書いたのですが、宮沢賢治の作品のキーワードともなっている「ほんとう」という言葉を味わいつつこの文を感じていただけるとうれしいです)
ぼくも、カウンセリングのときには正しい・正しくないという区分けを捨てて、その人にとって嬉しい方向はどっちかな?と探りながら話を聴いていくことが多いのですが、何だかんだいって、その人にとっての「ほんとうの幸福」に向けて歩いていることは信頼していきたいですし、その中で何らかの助力になれたら嬉しいなと思います。
ただ、ぼくもまだ、なにがしあわせかなんて、わからなかったりするのです。
そこは自覚していて、それでもなお、相手にとっての一あしずつを信頼し、応援していく。
そんなカウンセリングをこれからも行っていきたいです。
2010年03月04日
幸せは何かの報酬ではない
どうしたら、幸せになれるんだろう……
そう考えている人も多いと思います。
お金持ちになったら幸せになれるかな…?
結婚したら幸せになれるかな…?
この悩みが解決したら幸せになれるかな…?
ぼくも、高級リゾートのビーチで一日中のんびりと眠っていても、不労所得で毎月高額の収入が何もしなくても手に入る、という状態を「幸せ」というのだと思っていました。
そのような状態を目指してがんばるのが幸せへといたる道だと思っていましたし、そのように自分に言い聞かせていました。
でも、何かで「幸せは何かの報酬ではない」という言葉に触れることがありました。
妙に納得したのを覚えています。
こういうときって似たような考えや言葉に続けて出会うものですね。
ぼくのマイミクのさださんが似たようなことを日記にしていたので、さださんの許可を得て、ちょっと引用してみますね。
(ちなみにさださんの日記には、このブログの読者さんならきっと『なるほど~』と思うような気づきがたくさん書かれていますので、mixiのアカウントを持っている方は、ぜひ遊びに行ってみてくださいね。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1426973835&owner_id=141380)
~~~ここから~~~
「普通というか、一般的に
ゆとりとか余裕は
頑張った末に得られるもの
って、思いますよね。
よく人と話すと、
『さださん、そうはいってもね。
余裕があったら、考えるわよ』
って、言われたりするんですよ。」
「そうなんだよ。
でもな、笑顔や優しさがなかったら
ゆとりは、手に入らないやんか。
お金を儲けたら、
時間にゆとりができたら
ゆとりができると思うんだよね。」
「経済的に、ゆとりができたら
そりゃ、余裕も出てくるよって。」
「そしたら、達成したらいいけど
達成できなかったらどうするんだよ。
そのまま終わっていいのかい。
あかんやろ。
これは、どういうことか
みんなを支えているのは
『まじめで、一生懸命』
ということなんだ。
まじめで、一生懸命では
絶対にゆとりは、生まれないよ。
まじめに、一生懸命にと思って
そうやっていくと
どんどんどんどん、しんどくなる。
絶対にしんどくなる。
頑張って頑張って
たとえ成功したとしても
人生終わりだったとしたら、
残された時間は、ほとんどないやん。
まじめで勤勉な方が素晴らしい
と勘違いしている。
それは、人として最低の条件であって
素晴らしいことなんじゃないんだよ。
喜び、楽しみのために
人は、存在している。
喜び、楽しみのためには、物がいる。
食べるものも、時計も車も
いっぱい物がいるんだよ。
そのために、働いて金を得る。
それでしかないんだよ。
じゃぁ、働いてと
我武者羅に働いていいのかではないよ。
我武者羅の先には、結局
しんどいしか残らないんだから。
頑張って一生懸命やった結果には
しんどいカラダにか残っていない。
時間とお金に余裕ができた時には
疲れてしまっていては意味がないよね。
だから、前に話したけれど
楽しいヘリコプターが欲しいと思って
ガレージで2人乗りのヘリコプターを作って
そしたら、それが大当たりして
いまや、何千台も作るようになった
フランクリン・ロピンソンさんは
社長になったから、
ヘリを作ったんじゃなく
子供の純粋さ、無邪気さを
ずっと持ち合わせてきたから
成功したし、
いまがあるということだと思う。
社長になったから、
ゆとりを持ちなさい
と言われても持てないんだよ。
ゆとりを持っているから、
社長になって持てるのであって
持ってない人は、持てない
回路がないから。
『あの人、社長になったから
好きなことができるんだね。』
ではなくて
そういう回路があるから
社長になれるんだよ。」
「そういう発想、回路にあるから
それにふさわしい地位が与えられるんですね。」
「そうです。そうです。
人の3倍働くから
社長になりましょうではないんだよ。」
記憶の回路と同じように
ゆとりの回路というのもあるようです。
~~~ここまで~~~
さださんはここで「ゆとり」について書いているんですが、時間的にも、金銭的にも、体力的にもゆとりのある状態を幸せと考えるなら、「ゆとり」を「幸せ」に置き換えて読んでみても面白いなぁと思ったんです。
ということは、記憶の回路と同じように、幸せの回路というものもあるようです。
そしておそらくそれは、誰にでも備わっているもののような気がします。
試しに、どんなときに「しあわせ~」って思うか、感じてみてください。
では、次に、「1億円~」って感じてみてください。
「しあわせ~」って感じることはできても、「1億円~」って感じることは、「???」って感じだったのではないでしょうか。
感じられたとしても、人によってはすごくポジティブなイメージが浮かんできたり、逆にネガティブなイメージが浮かんでくる人もいるかも知れません。ただ、それは個々人のイメージであって、「『一億円~』という感じ」ではありません。
なせ、「しあわせ~」と感じることはできるのに、「1億円~」と感じることはできないのか。
幸せは感情であり、物ではないからなんです。
逆に1億円は物の名前(もしくは価値を示す記号のひとつ)であり、感情ではないので感じることはできません。
喜怒哀楽の感情は何かの報酬とはなりえません。
「あなたはこれだけ働いたから、今月はこれだけ怒っていいよ」なんてことにはなりませんから。
感情を表に出さないように努力することはできますが、怒りの感情そのものが金欠時のように、「今月はもう怒りの感情がなくなっちゃったよ~。社長、怒り前借りさせてくんないかな~」なんてことはあり得ませんよね。
それと同様に、幸せも何かの報酬とはなり得ないんです。
幸せは、感じるものだから。
感じられるということは、あなたにも幸せの回路が存在するんです。
誰に遠慮することもなく「しあわせ~」と感じていいんです。
そうすればきっと、幸せはがんばらないと手に入らないほど遠くにあるものではなく、あなたが既に手にしていることに気づくはず。
ちょうど、青い鳥がチルチルミチルのすぐそばにいたように。
ただ、あなたの幸せは青い鳥のように逃げていったりはしませんけどね~^^





